母が私をみごもった頃は、全国で風疹がはやっていて、先生より、まともな子が生まれる保証はできませんと云われたという。
 最初の子だし、どうしてもどんな事があってもいいと生んでくれた。そして無事11月10日、体重3,200g、身長50.5cmで元気に生まれた。
 昭和51年11月10日は、天皇即位50周年の日。予定日は8日だったけど、どうしても10日に生まれてきてほしかったという母の希望が叶い、10日に生まれた。
 母の母乳がなかなか出なかったらしく、ミルクをたくさん飲んでいたという。ミルクの後、ゲップを出すのが下手で、ゲップのたびにビューとミルクをはきだしていた。

 おとなしく、育ちは早かったようで、一才ぐらいには歩いて回っていたようだ。
 この頃、泣くとヘルニアになるようになり、ヘルニアの手術をうけた。その際、血液を止めるためにフィブリノゲンを使われた。その時は、何とも思わなかった・・・。

 幼稚園の時、何を聞いても「知らん」「わからん」と単語で答えるような性格で、何を考えているかわからないとよく言われた。
 小学生の頃は、ソフトボール、ミニバスケットボール、水泳といろいろなスポーツに取り組んだ。
 小学3年の時、弟が同じソフトボールチームに入ると、弟のことが気にかかって自分の練習に集中できなかった。そんな時に友達からミニバスケットボールへの誘いがあり、3年〜6年生まで3年間ミニバスケットボールを頑張った。
 何事にも前向きで、いろんな事に自分からチャレンジしていた。

 中学では、進路相談のときに担任の先生に「世界で通用するのはマラソン。だから、マラソンをしたい」と言った。そして駅伝の強い大牟田高校へと進学した。

 小学校の時から、足は早かった。選手コースへいくくらいまでクラブの水泳をしていたことや、中学生までやっていたバスケット、そして大牟田高校での駅伝、そんないろんな経験が、今やっているトライアスロンへとつながっているような気がする。